酒さの症状が出るまで、我が家では写真も動画もたくさん撮っていました。
家族旅行や、ちょっとした日常のワンシーン。
夫がよくカメラを向けてくれていて、被写体はいつも子どもと私でした。
でも、酒さの症状が出てから、私は写真が苦手になってしまいました。
今日は、そこから今に至るまでの話をお伝えします。
Q:酒さの症状が出てから、写真を避けるようになったの?
Q:証明写真とか、どうしても必要なときはどうしてたの?
Q:今、写真に対する気持ちは変わった?
A:
症状が出てからは、写真に写る赤い顔とガサガサの肌を見るのがつらくて、次第に避けるようになりました。代わりに自分がカメラマンになり、動画編集という新しい趣味も生まれました。証明写真は無人の機械で乗り切っていました。今も苦手意識は残っていますが、「今しかない瞬間を残しておけばよかった」という後悔から、写真に対する考え方は少し変わってきています。
家族写真に写る、赤い顔と生気のない表情
酒さの症状が出たころから、写真が苦手になってきました。
それまでは家族旅行やささいな日常でも、夫がよく写真を撮ってくれていたんです。
必然的に、被写体は子どもと私でした。
でも、写真を見返すたびに、真っ赤な顔が写っています。
ブツブツ・ガサガサした肌が、写真からも伝わってくるほどでした。
最近気づいたのですが、実は肌だけではなく、表情も良くなかったんですよね。
疲れ果てて、エネルギーのない顔をしていたんです。
具合が悪いと、表情も悪くなるじゃないですか。
それがずっと続いている感じで、酒さの症状と相まって、生気のない表情で写ってしまう。
自分としてはいつも通り笑顔で撮ったつもりなのに、なぜか浮かない顔で写っているんです。
そんな自分を見たくなくて、次第に写真を避けるようになってしまいました。
気づけば、私はカメラマンになっていた
写真を避けるようになった代わりに、私は自分がカメラマンになりました。
子どもや夫、風景の写真や動画を撮る側にまわるようになったんです。
出かけるのが大好きで、日帰りでもあちこちドライブがてら出かけるのですが、そのたびにスマホで写真だけでなく動画も撮っています。
もともと子どもの動画はたくさん撮っていたのですが、データがそのままになっていて、見返すことがありませんでした。
せっかくあるのに生かせていない。
そう思って、イベントごとに動画編集をして、写真と動画をひとつの動画に仕上げ、YouTubeに非公開でアップするようになったんです。
見せたい人にだけURLを共有するスタイルで、両親や友人にも旅の思い出として喜んでもらえています。
昔のデータも動画にまとめて、簡単に見返せるようにしました。
これは、思いがけず生まれた新しい趣味になりました(笑)。
最近では、動画に私が写っていないことに気づいた人が、私を狙い撃ちして撮ってくれるようになり、ちょいちょい自分も登場するようになってきました。
酒さの症状が出ていた頃は、人と会って外出すること自体にも気を張っていました。
そのあたりの気持ちについては、こちらの記事にも詳しく書いています▼
前向きになれなくていい(酒さと外出)
証明写真という、避けられない壁
困ったのは、証明写真です。
必要があって撮らなければならないもの、避けては通れません。
私の場合、マイナンバーと履歴書用の写真が必要になり、どうしようかと悩みました。
結果、メイクもせずにそのまま撮りました。
マイナンバーは人に見せる機会がないと判断しましたし、履歴書は職場の継続用だったので、「まあ、いいか」という気持ちで提出しました。
もしこれが新規の採用試験用だったら、メイクをして臨んだかもしれません。
第一印象は大事ですからね。
証明写真は、無人の機械で撮りました。
誰にも気にされずに撮れるので、気が楽です。
ただ、本当に大事な証明写真であれば、写真屋さんで撮ってもらった方がいいと思います。
修正もしてくれますし、意外と理由を話せば、親身に考えてくれるものです。
それでも、友人との写真はそのまま写っていた
証明写真とは別に、友人との集合写真のような、撮られそうになる場面もありました。
そういうときは、そのまま写っていました。
私だけ顔が真っ赤で恥ずかしいなと思いつつ、その場にいる友人との記念撮影ですから、楽しく写るようにしていました。
「今しかない」と気づかせてくれた、数年越しの後悔
酒さの症状が落ち着くまでに数年かかりました。
その間、写真を避けてしまうと、貴重なその期間を残しておけなくなってしまいます。
子どもがいる方だと、数年で子どもは大きくなってしまいますよね。
その間、一緒に写っている写真がないというのは、少し寂しいものです。
たとえ顔が赤くてブツブツしていたとしても、一緒に寄り添って写っているということ自体が大事なんじゃないかなと、今は思います。
これは、私が少しだけ後悔していることでもあります。
もっと一緒に撮っておけばよかったかなと、今になって思うんです。
写真を撮ったその瞬間は、こんな肌もう嫌だと思って目をそむけたくなります。
でも数年後に見返すと、こんな肌の時もあったなと、懐かしむ気持ちがわいてきました。
それは、今、肌の状態が良くなったからそう思えているだけなのかもしれません。
それでも、一緒に写っている人は、今よりも若いし、小さいし、もしかしたら今は会えない人かもしれない。
そう思うと、わざわざ写真を避けることなんてしなくていいのかなと思うようになりました。
自分の写真がほしいのではなく、時間を共有した人と一緒に写る、その瞬間がほしいんです。
写真を避けると、その瞬間ごと失ってしまいます。
今、同じように写真を避けている方がいたら、「今しかない」ということに、少しだけ気づいてもらえたら嬉しいです。
今、当時の写真を見返すと、複雑な気持ちになります。
肌の状態は正直つらそうだなと思う一方で、隣にいる子どもの小ささや、あの頃の空気感は、二度と戻ってきません。
肌の写りを気にして写真を撮らなかった時間は、取り戻すことができないんですよね。
だからこそ、今写真が苦手だという方にも、無理のない範囲で、少しだけ「残しておく」ことを選んでほしいなと思います。
それでも、写真への苦手意識は今も残っている
正直なところ、今でも写真は苦手意識が強いです。
刷り込まれているんですかね(笑)。
自分が撮る側にまわってから、それがすっかり習慣になってしまった感じがあります。
肌の状態は良くなったのに、苦手意識だけがそのまま残っている。
そういうこともあるんだな、と自分でも不思議に思っています。
それでも、以前のように写真そのものを避けることはなくなりました。
必要なときは必要なだけ、写る。
それくらいの距離感で、今は付き合っています。
苦手意識がゼロになる必要はないのかもしれません。
無理に克服しようとしなくても、撮る側という新しい役割を見つけたことで、私なりに写真との折り合いがついたんだと思います。
完璧に苦手を克服することよりも、自分に合った関わり方を見つけることの方が、案外大事なのかもしれません。
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